Θ 甘酸っぱい恋の味 Θ
演劇部の片づけを手伝って来いといわれ、私は走っていた。
約束の期間は昨日までだったけれど、後片付けのことをすっかり忘れていたのだ。
沢登先輩に言われるまで後片付けに気付けなかったなんて……。
「お、遅くなりましたーっ」
そう言って部室のドアを勢いよく開けると、
「あら、おねえさまー」
椅子に腰掛けて手をヒラヒラと振って、堤くんが出迎えてくれた。
「なにー? あたいに会いたくなっちゃったの?」
「もう、違うよ堤くん。今日、片付けでしょ? 手伝いに来たの」
告げると彼は「あーあーあー」と大げさに頷いた。
「それなら体育館でやってるよ」
言われてみればそうだ。
演劇部は体育館で劇を発表したのだから片づけがあるのならば部室ではなく体育館だ。
すぐに体育館に向かおうとして振り返る。
「……堤くんは?」
「んー…………サボリ?」
ニヤッと笑った堤くんに、ドアへと伸ばした手を止めた。
「だっ、駄目だよ、堤くん」
「止めないでおくんなまし。あたいには、真実の愛を探すという大事な使命が……」
目に涙を溜めての迫真の演技だけれど、私はもう騙されない。
「そんなこと言って、ただ片付けしたくないだけでしょ」
キッパリと告げるとスッと彼の目から涙は消えた。
かわりにギュッと私の両手を握り締めると、
「西村。俺は西村が俺の分までキリキリ働くと信じてる」
と告げた。
「だーめ。マネージャーなんだから、無理やりにでも連れてくよ」
そう言って逃がすまいと堤くんの腕を掴んだ瞬間、
「あーれぇー。お代官様、およしになってぇぇ……」
「へ?」
驚いた瞬間には堤くんはもう私の手を振り切って脱兎のごく逃走していた。
「あ…、もう。待てー!」
マネージャー最後の大仕事をすべく、私は廊下を駆け出した。
堤くんはすぐに見つかった。
廊下に出たときには既に彼の姿はなく、いつもの屋上を思い浮かべたのだけれど、
胸のペンダントが見せてくれたのは、すぐ隣の空き教室。
逃げたと見せかけて実はすぐ近くに隠れていたというのは典型的なパターンだが、
ガラッと扉を開けると「あちゃー」と苦笑した堤くんがいた。
「さ。観念して体育館に行こうよ」
そう言って堤くんへと近づいた瞬間、廊下から堤くんを探す声が聞こえた。
きっと一向にやってこない堤くんを演劇部のみんなが探しているんだろう。
「ほら、みんな探してる。おー………きゃっ!」
私はすぐにでも教室の戸を開けようと堤くんへ背中を向けた。
廊下の部員たちへ「おーい」と呼びかける寸前、後ろから堤くんに抱きしめられていた。
「つ…つみ……くん?」
「西村……、少しだけ……このままでいいか?」
熱っぽい堤くんの声にどう反応したらいいのかわからなくなってしまった。
大声をあげれば、きっとすぐにでも演劇部の人たちがここを見つけてくれるだろう。
そうしたら、背中に感じる堤くんの温もりは、消えてしまう。
「…………あれ?」
チクリと痛んだ胸。私今、堤くんの温もりが消えるのは嫌だって感じた。
「どしたの?」
「う、ううん。なんでも……」
堤くんはふみの友達で、ユキちゃんの部活仲間で、私にとっては…………。
「……西村?」
「ご、ごめんっ」
無意識に堤くんの腕をギュッと握り締めてしまった。
慌てて離すと、堤くんは耳元で笑った。
「ふふ。おねえさまったらあたしの魅力にやられちゃったのかしら?」
「うん。……そう、なのかも」
ポツリと呟くと、堤くんは驚いたように私の顔を覗き込んだ。
「ちょっ、今の、ホント? 西村」
「うわぁ。きゅ、急に顔を覗かないでよ」
すぐ真横に堤くんの顔があるなんて変な感じだ。
「そんなことより、今の。ちゃんと答えて」
「うぅっ…。その……離れたくないって思ったの」
真っ赤な顔で俯きながら、それでもポツリポツリと続ける。
「演劇部の人に見つかったら堤くんは後片付けに行っちゃうでしょ?」
「ま、そーなるわな」
「そうしたら……、堤くんは私から手を離しちゃうわけで……」
そこまで告げると堤くんはニヤニヤと笑った。
「つーまーり。西村は俺にこうして抱きしめてて欲しいんだー。うわー、ヤラシイ」
「そっ、そうなのかな。うーん、ふみには抱きしめられても嬉しくないと思うけど……」
考えながら呟いた言葉に、堤くんは口を開く。
「ちょっ、今の聞き捨てならないわ。なに? ふーみんに抱きしめてもらってるの?」
「ち、違うよ。堤くんが特別だから抱きしめて欲しいわけで。でも理由が分かんなくてなんでだろうなって考えてただけで……」
そう、私にとって堤くんは、気付いたら特別になっていたのだ。
「……あーやばい。俺、今すっげぇ西村のことぎゅーってしたいんだけど」
そう言って堤くんは、今度は正面から私を抱きしめた。
「俺の方が西村の魅力にやられたかも……」
「へ? 私何もしてないけど」
きょとんと首を傾げて告げると、堤くんは困ったように笑った。
「わかったわかった。そう思ってていいからもう少しこうしてぎゅってさせてね」
「そう言って、あと片付けサボる気でしょ」
頬を膨らませて怒ったそぶりで告げたものの、もう演劇部の人を呼ぶという選択肢は消えていた。
だって堤くんの腕の中はこんなにも心地良いのだから。
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