Θ 猫と雷 Θ
どうしてこんなことになってしまったのか。
助けるはずの猫は私に驚いて自力で飛び降りてしまった。
「……無事なのは良かったけど」
残された問題は、私がどうやって降りるかということ。
中庭を掃除していると、どこからともなく猫の鳴き声が聞こえた。
姿を探してみると木の上に猫はいて、どうやら下りられなくなってしまったらしい。
「ちょっと待っててね」
いつもなら躊躇する木登りも、男の子の格好をしている今なら迷う暇はない。
上を見ながら猫のいる枝までスルスルと登っていく。
枝に腰掛け猫へと手を伸ばすと、猫はビクリと身体を震わせ反対側へと逃げてしまった。
落ちては大変と更に手を伸ばすのだが、追い詰められた猫はポンと枝から飛び下りてしまった。
「あっ…」
声を出したときにはもう猫はどこかへ走り去ってしまっていた。
「……無事なのは良かったけど」
いざ降りようと改めて下を見ると体が竦んでしまう。
「…………どうしよう」
中庭の仕事を放り出して木の上にいる姿は、見られていいものではない。
土方さんにでも見つかったらこっぴどく叱られるだろう。
その前に誰かに助けてもらおうと息を吸い込むのだが、
もし大声で助けを呼んで幹部以外の人が来てしまったらと思うとそれもできない。
「やっぱり……ちょっと、……ううん、だいぶ痛そうだけど飛び降りるしか……」
私は鬼だから首を斬られたり心臓が止まらない限り死なないらしい。
なら、木の上から落っこちたぐらいでは死にはしないだろう。
「……痛いのは最初だけ、痛いのは最初だけ……」
目を閉じて呪いのように何度も繰り返し意を決した私の耳に、
「なにしてやがんだ」
と不機嫌そうな声が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、縁側に土方さんの姿が見えた。
「あ…あの、これはその……遊んでたとかじゃなくて、猫が……」
言いかけてその先の言葉が出てこない。
だって猫の姿はもうどこにもないのだ。
口を噤んで俯いた私に、土方さんは近づく。
「いつまでそーしてる気だ?」
「あ…の、下りられなくなっちゃいまして……」
ボソボソと答える私に、「んで?」と土方さんは尋ねる。
「俺がここにいて、お前はどーすんだ?」
「えっと……」
この際、雷の一つや二つ落とされてもいいから助けてほしかった。
けれどこんなことで土方さんの手を煩わせていいのだろうか。
「くっ…、ったく。ほれ」
私の葛藤が顔に出てしまったのか、土方さんは笑って両手を広げる。
受け止めてやるから飛び込め、と言われているのは分かるけど、
「あの…、私……。重いですし……」
「餓鬼が遠慮してんじゃねーよ」
「でも……」
「んなとこにいて中庭の掃除が片付くのか?」
言われて思い出した。
私はまだ掃除の途中だったのだ。
「じゃ、じゃぁ……その……お願いします」
「初めからそーいやいいんだ」
慎重に枝の上に立ち上がると、意を決して飛び下りる。
「……てめー…」
機嫌の悪そうな土方さんの声に、怖くて閉じてしまった目を開けてみると、
「どこのどいつがわざわざ勢いつけて飛び下りんだ!」
と雷が落ちた。
土方さんは私を抱きとめたのだが、私の勢いが強すぎてそのまま後ろに倒れてしまったらしい。
それでも両腕がしっかりと背中に回されていて、嬉しくなってしまった。
「どこも怪我してねーか?」
「はい。大丈夫です」
「そか。……ったく。心配かけんな」
「……心配、してくれたんですか?」
思わず聞き返すと彼は気まずそうに舌打ちした。
うっすらと色づいた頬が嬉しくて、怒られた後だというのに私はだらしなく笑った。
「誰がてめーみたいな餓鬼の心配なんか……」
そんな私を土方さんはギロリと睨み詰けるも、
まだ両の手がしっかりと私を抱きしめてくれていたから怖くなかった。
いつまでも笑う私に上に再び雷が落ちたのだけれど、
こんなにも優しい雷ならば、私は何度も落とされてみたいなんて思ってしまっていた。
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