教室の見回りを終えると、すっかり時間が経ってしまった。 文化祭の準備期間に入っているので、遅くまで残っている生徒がいるためだ。 一度目の見回りで帰宅させたクラスが再び作業をしている、なんてこともある。 おかげでいつも以上の時間が掛かってしまった。
校舎を出て両腕をめいっぱい伸ばす。 祭り前のこのドキドキした時間は、生徒だけでなく私も楽しい。 けれど疲れの方が勝るのは、やはり年なのだろうか。 朝、学校の着くと既に準備をしているクラスもあるのだ。

「はぁぁ。若いっていいわねー」

空にぽっかりと浮かんだ月を見上げながら、そんなことを呟きながら歩き出した。




Θ 弓張り月が出ているから Θ




校門を出て暫く歩いたところで、見慣れた人物を見つけた。 ガードレールに腰掛けて、ぼんやりと佇む赤い髪は見間違うはずがない。

「…瞬君、なにしてるの?」

私の声にビクリと肩を震わせた顔を上げたのは瞬君だった。 うちのクラスは二時間ほど前に全員帰らせたはずだ。

「先生は今帰りか?」
「えぇ。それより瞬君、こんな時間までなにを?」

尋ねると彼は歯切れ悪く言葉を濁す。

「その…あれ、だ」

地面を見つめたまま、言葉を必死に選んでいるようだ。

「き、今日はスーパーの特売…で、だから、先生の手を借りようと……」
「そういうことなら手を貸すけど、こんな時間じゃもうないんじゃないかしら」

腕時計で確認しても、夜の八時を過ぎている。 デパートなどなら夜の十一時まで営業しているところもあるが、セール品は期待できないだろう。

「そう…だな。あー…あれだ。補習が……気になって」
「文化祭の準備期間は朝も放課後も忙しいから無しにしようって言わなかった?」
「聞いた……な」
「変な瞬君」

私は瞬君の隣で小さく笑うとガードレールに腰掛けた。

「クラスの準備は……はかどってるのか?」
「瞬君バンドの練習あるから途中で抜けちゃったもんね。大丈夫よ。みんな頑張ってる」
「そう……か」

瞬君は俯いたまま、言葉を探しているようだった。 そんな姿に私はニッコリと笑みを作ると口を開いた。

「ところで瞬君、ホントはこんな時間に何をしていたのかしら」
「なっ……」

驚いた顔の瞬君がそこにいた。


バンドの練習があるからと、クラスの準備を途中で抜けた瞬君がこんなところにいる理由が知りたかった。 スーパーの特売は恐らく嘘だろう。 特売があったのならバンドの練習より先にそちらへ向かったはずだ。 ならクラスが気になって見に来たのだろうか。 だったら、教室まで入ってきてもいいようなものだがあのあと教室で瞬君を見たという話は聞いていない。

「自惚れかも知れないけど、私を待っててくれたのかしら?」

告げると、

「違っ……、バンドの練習帰りにたまたま立ち寄ったらもう学校が真っ暗だっただけで……」

と瞬君は答えた。 それは私の言葉がほぼ正しかったことを現しているような狼狽振りで見ていて面白くなってしまった。

「ふふ。そう言うことにしておくわ。じゃ、瞬君。一つお願いがあるんだけど……」
「なんだ?」

私の言葉に安心した瞬君は、ホッと胸を撫で下ろしていた。

「夜道の一人歩きは流石に怖いから、駅まで送ってくれないかしら」
「ふん。仕方ない。先生には日頃世話になっているからな。行くぞ」
「はいはい」

スタスタと歩き出した瞬君を追うように、私も早足で歩き出した。 投げ出されたままの手にそっと触れると思ったとおりその指はかなり冷たくなっていて、

「瞬君。ホントはいつから待っててくれたの? 手、冷たいわよ」
「こっ、これは冷え性だからだ!」
「はいはい。そう言うことにしておきます」

あまりに必死な瞬君が可愛くて、堪えきれずにクスクスと笑い出してしまった私。、 瞬君は真っ赤な顔で一人歩き出してしまったけれど、それすらも可愛く見えて仕方がなかった。 気付けば学校を出たころの疲れなんて、既に吹き飛んでしまっていた。 再びぽっかりと浮かんだ月を見上げ「よしっ」と気合を入れると、 あふれ出す笑みを必死に堪えながら、私は瞬君の背中を追った。


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(秋っぽいお話を)