教科書とプリントを胸に、私は軽い足取りで教室へと向かっていた。 今日はこれから瞬君の補習なのだ。 卒業目前のこの時期、瞬君にはもう補習は必要なくなっていたのに、彼は私にこう告げたのだ。

「アンタとの補習はオレの中でもう日課になってるんだ。だから、卒業まで続けて欲しい」

補習を始めたばかりの頃は何かと理由をつけて逃げ回っていた瞬君が、 自ら勉強したいといってきたのだ。 私がそれを断る理由なんてもちろんなくて、二つ返事でオッケイした。 以来、私たちの補習は、相変わらず続けられていた。


教室の前。嬉しさから思わず微笑んでしまいそうな顔を両手で軽く叩く。 そして教室のドアに手を書けた瞬間、中から話し声がした。 誰かいるのだろうかとそっとドアをあけると、他クラスの女の子が瞬君の前にいた。 真っ赤な顔で必死に何かを告げている少女。 なんとなく、胸がチクリと痛んだ。 その原因を考えている間に、彼女は顔を上げると瞬君に真っ直ぐに告げた。

「ずっと好きでした……。その、良かったら私と……」

ようやくそこで告白現場だと気付いた私は、なんだかすごく悪いことをしている気分になった。 慌ててその場を離れると、職員室へと逃げ帰る。 なぜ自分がこんなにも慌てふためいているのか、そんなことは考える余裕もなかった。




Θ 優しい唄 Θ




「はぁ……ビックリしたわ」

自分の席について一息つく。そういえば、前にもこんなことがあったような気がした。 補習を始めようと思ったら、教室に瞬君と女の子がいて、 お友達と話しているのかとその時は時間を潰してから教室に戻ったけれど、 もしかしたらあの時も瞬君は告白されていたのではないだろうか。

「もうすぐ卒業……だもんね」

あれだけ格好良ければ、最後に玉砕覚悟で告白に来る女の子は後を絶たないだろう。 私が気付いていないだけで、瞬君は何度も何度も告白をされているのだろうか。

「どう……するのかな」

なぜこんなにも気になっているのだろうか。 自分の教え子の恋愛にまで口を出すつもりはなかった。 けれど、瞬君が告白を受けどうするのかがすごく気になってしまう。 悶々と悩んでいると職員室のドアが開き、瞬君が顔を覗かせた。

「こんなところにいたのか。待っても来ないから探したぞ」

私は机の上に持ち帰った教科書とプリントを手に慌てて立ち上がった。



「そ、そう言えば瞬君」

廊下を並んで歩きながら、私は何気なく口を開く。

「実はさっき、見ちゃったんだけど……」
「ん? あぁ、あれか。最近多いんだが迷惑な話だ」

溜息混じりに瞬君は告げる。 女の子たちはなけなしの勇気を絞っただろうに、迷惑で片付けられてしまうのは同情してしまう。

「じゃ、断ったの?」
「オレは音楽が大事だからな」
「ふーん。でも、勿体無いわねー」

キッパリと言い切った瞬君の言葉に安心したけれど、勿体無いと思ったのも本当だ。

「キャーキャー言われるのは今だけかもよ? あとで彼女欲しいって思ったときには誰も寄ってこないかも」
「別に構わんさ。それにオレには好きな人がいるからな」

その言葉に思わず顔を上げた。 瞬君とは補習を通じて一緒にいる時間が長いと思っていたのに、まだ私の知らないことがあったのだ。 喉まででかかった「誰」という単語を飲み込むと、

「へぇ、意外だったわ。ねぇ、どんな人?」

と、軽く尋ねてみる。私の言葉に瞬君は小さな溜息を吐くと口を開いた。

「一生懸命で、自分よりオレのことばかり気にかけてくれる人だ」
「そっか。そんないい人がいるんじゃ、仕方ないわね」

その言葉は瞬君が告白を断ることへの肯定なのか、自分自身への言葉なのかわからない。 けれど、私は瞬君の言葉に笑顔を向けることが出来なかった。

「……鈍いにもほどがあるな」

ポツリと漏れた瞬君の言葉に顔を上げると、彼の手が私の頭に乗った。

「構内で迷うし、殺す気かと疑いたくなるような料理を作る」

そのまま私を見つめながら瞬君は続ける。

「ドジで間抜けで、目が離せないんだ」
「…………それって」

真っ赤な顔でそれだけ告げると、瞬君はニヤリと笑った。

「わ、私じゃないわよ。私、お料理は得意なんだからね」
「……そこで力説されるとオレの告白が全力で覆るんだが」

瞬君の告白が覆るのは困るけど、断じて私の料理は他人を殺す威力は持ち合わせていない。

「まさかとは思うが、補習も特に深い意味には考えなかったのか?」
「……へ? やっと勉強の面白さに目覚めたんでしょ?」

キョトンとして告げると瞬君は脱力したようにその場にしゃがみ込んでしまった。

「ちょっ、え? 違ったの?」

慌てて彼の顔を覗き込むようにしゃがむと、

「一緒にいたいからに決まってるだろ!」

怒ったようにそう告げた瞬君に唇を奪われた。突然のことに私の思考は完全に停止した。

「はぁぁ、鈍いにもほどがある」

自分の行動に照れたのか、瞬君は真っ赤な顔をプイと背けると、

「卒業したら嫌というほど自覚させてやる」

と呟き、私はその言葉にただただ真っ赤な顔のまま顔から湯気を出し続けるのだった。



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(瞬→←悠 これくらいが好きです。)