Θ 壊したかったのは自分 Θ





あの人が突然姿を消して三ヶ月。 心配した翼君が食事に誘ってくれるけれど、私にはその味はわからない。 最高級のレストランで、窓の外には素敵な夜景が広がってても感動できない。 ぼんやりと浮かぶ白い月に、たまらなく悲しくなって涙が溢れそうになる。





「……先生」

溜息混じりに翼君の声が聞こえて、一人でなかったことを思い出す。 今日もまた、翼君に呼び出されて食事をしていたのだ。

「あ、ご、ごめん…ね。えーと、うん。美味しいわね」

笑って見せても翼君の溜息は止まない。

「まったく、何をしているんだ銀児さんは」
「……っ」

聞こえた名前にピタリと手が止まる。

「翼様」
「なんだ? …………しまった」

二人のそんなやり取りは、どこか遠くで聞こえた。


別れるほんの数分前まではとてもいい雰囲気で、部屋に来る約束もしていたというのに、 校長先生に呼ばれて、約束はまた今度ということになって私の前から姿を消した。 あれから三ヶ月経ってしまった。 突如して姿を消した葛城先生のことを他の先生方は何も教えてくれず、私一人が知らないままだ。


「おい、帰るぞ」
「……え? でもご飯……」

声をかけられ顔を上げると、既に席を立った翼君がいて、

「食べたくないのだろう? そんなときに無理して食べても意味がない」

スタスタと歩く翼君の後ろ姿に、私もノロノロと席を立った。





「俺はこのまま撮影現場に向かう。永田、先生のことは任せたぞ」
「はい、翼様」

駐車場で翼君はそう言って、私に車の助手席へ座るよう促した。

「仕事……だったの?」
「あぁ、これからな」
「言ってくれれば良かったのに」
「そうしたら銀児さんを忘れたか?」

そう尋ねられ言葉に詰まる。だけれど、こんな中途半端な状態で会ったりはしなかっただろう。

「そんな顔をするな。俺がそうしたかったんだよ、担任」

昔のように呼ばれ、そして頭を撫でられた。 昔のようであっても翼君はちゃんに前に進んでいる。 心配ばかりかけて私の方が子供みたいだ。

「ありがとう」

そう言って私は車に乗り込んだ。










発進した車の中、私はぼんやりと窓の外を眺める。

「心ここに在らず……ですね」
「え?」

話しかけられると思っていなかった私は驚いてしまった。

「いつまであの方を思えば気が済みますか?」

運転しながら、永田さんは口を開く。

「今日だって、翼様は近状報告ではなく貴女の様子を見に来たんですよ」
「…………」

確かにそうだ。初めのころは、確かに近状報告のようなことを話してくれていたのに、 今は何も言わずに側にいることの方が多い。

「呼び出さなければ、貴女は部屋に閉じこもったままでてこないのでしょう?」

そう、最近は学校以外に外にでることはない。 部屋に閉じこもってただぼんやりと月を見て過ごす毎日だ。

「翼様は貴女に大変感謝している。だから、貴女に幸せになってもらいたいのに」
「そう……ですよね」

わかっていた。周りの優しさも翼君の優しさも、わかっていた。 わかっていて甘える私はずるいというのも理解していた。 けれど、忘れられるはずがないのだ。あの人の優しさを、温もりを。

「私では駄目ですか?」

信号で車が止まり、永田さんは口を開いた。

「私ではあの方の代わりにはならないでしょうか?」

真っ直ぐな瞳が私を見る。

「寂しさを埋めるだけでもいい。貴女の支えに、私はなりたい」

そう言って身を乗り出すと、永田さんは体ごと覆いかぶさる。 私の視界は永田さんで塞がる。けれど、私はその身体をやんわりと押し戻した。

「葛城先生が見てますから……」

窓の外には月が浮かんでいて、どうしてもあの人を思い出してしまう。

「……ごめんなさい」
「……馬鹿な人ですね、貴女も」

永田さんは自嘲するように告げて再び車を発進させた。

「知らなかったんですか? 私これでもB6の担任だったんですよ?」

ふふっと笑うと永田さんも笑った。 彼の優しさは痛いほど嬉しかった。けれど、飛び込むわけにはいかない。 だって私はまだ、葛城先生と何もはじまっていないからだ。 いつ会えるかわからないけれど、会って話をして、自分の気持ちを告げてからでないと、私はどこにも動けない。 そう告げたらまた「馬鹿な人だ」と笑われてしまったけれど、それでいい。 だって私はB6の担任で、それが私の誇りなのだから。



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(永田→悠里→葛城 アプリのED前)