Θ 傘で隠して Θ



「おっかしいなぁ……」

職員用玄関で、私はそう呟いた。

「朝、確かに持ってきたんだけど……」

今日は朝から雨が降ると言っていて、しっかりと傘を持ってきた。 なのに、傘立てに立てたはずの私の傘は、姿を消していた。

「うーん。どうしよう」

誰かが間違えて持って帰ってしまったのかもしれない。そう考えて諦めたように外にでる。 夕方から降り出した雨はまだザーザーと音を立てて止みそうにない。



「キシシ。なーに、ンなとこにつったってんだよ」

声をかけられ視線を空から戻すと、目の前に清春君がいた。それも、私の傘をさして。

「あっ。ちょっと清春君。その傘どうしたのよ?」
「あーン? なんだよ、ごちゃごちゃとうっせーな。そこにささってたから使ってやってんだよ」

清春君が指差したのは職員用玄関の傘立てだ。

「ここは職員の傘を入れておくところだから傘があるのは当たり前でしょ?」
「ンなこといってもオレ様には忘れもんに見えたぜ」
「もう。その傘は私のなの。返しなさい」

告げると清春君はシシシと笑った。

「生徒に濡れて帰れッつーのか? このハラショー教師!」
「ハラ……、喜んでどうするのよ。それを言うなら薄情でしょ」

そう突っ込んですかさず、

「ちょっ、思いやりがないなんて清春君に言われたくないわ」
「ブヒャヒャ…。忙しそうだなァー、お前」

完全に遊ばれていた。





「……、とにかく、傘がないなら一緒に帰る?」

流石にこの雨の中放り出すわけにもいかない。 そう提案すると清春君は当たり前のように傘を持ち上げ私に入れと促す。

「まったく。これだけ傘があって、なんでよりにもよって私の傘を選ぶのよ」

身を屈めて傘の中に入ると、

「それはな……」

と、清春君は意味深に呟いて

「こーするためだーッ!」
「キャッ」

急に傘を引き寄せた。傘に押されるように私は前につんのめり、そのままやわらかいものが唇に触れた。

「わかったか?」
「…………へ?」

ニヤニヤと笑う清春君に、私は何度も瞬きをしていた。 今、唇に触れたものは、間違いなく清春君の……

「な、なな、なにしてるのよ」
「あーン? なにってンなもんキ……」
「キャーッ。言わなくていい。言わなくていい」

傘の中、私はギャーギャーと喚く。



「な、なんでこんなことするの」

何とか落ち着き、そうたずねると、彼はあっさりと答える。

「だって退屈だったしィ〜」
「退屈でそんなことしちゃいけません」
「だったら暇つぶし」
「同じことでしょう!」

ピシャリと言い放つと、清春君はキシシと笑い、

「冗談だっつーの。オマエがあまりにも可愛らしくてだなァ。オレ様つい、ムラッときちまったの。キシシシ」

そう告げたもののそれが一番胡散臭い理由に聞こえて私は眉間の皺を一層強めた。

「ンな怒んなよ。嬉しくてチューしたくなんだろォ?」
「…っ! してから言う……なっ!!」

チュッと頬に唇が当たり、思わず清春君に注意しようと振り返った瞬間、またしても唇を奪われてしまった。

「傘があってよかったなァー。キシシ」
「なっ、なっ……」

傘のおかげで外からはなにがあったのかなんて分からないのは事実だ。 けれど、傘のせいで清春君との距離がいつもより近いのも事実だ。


「キシシ。もう何もしねーッつーの」


そう言った清春君の言葉を信じて再び唇を奪われるのはこの五秒後の話。



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(彼はキス魔でしたよね)