知らなかった。知りたくなかった。
知ってしまったこの感情は、出口を知らずにグルグルと。



Θ 歪んだ正常 Θ



「……チッ。面倒だぜ」

放課後の教室で、真面目に担任を待っていた。 本当は今日もバッくれるつもりだったけれど、昼休みに悟郎に釘を刺されてしまった。 それに、今までのことも怒られた。 今までだったら毎回誰かしら嫌がらせをしてたのに、今じゃオレ様一人きり。 他のヤツラも担任が女になった途端、やる気をなくしたみたいで超つまンねェ。

「……でもま。オレ様の名を呼ぶだけであんなに嫌がるんだしィ〜」

困ったように眉を寄せて、恥ずかしそうに口にする。 そんな姿が楽しくて、下の名前を呼ばれないと返事はしてやんないと決めた。

「オレ様がアイツの名前を呼んだらもっと嫌がるんだろうな。……キシシ」

B6のメンバーに見惚れるくせに、生徒と教師の境界線はしっかりと引いていて、 もっと踏み込めば仲良くなれる位置にいるのに、誰にでも平等であろうとする。 悪くないとは思うけど、つまンねェと思う。 もっと他の女みたいにキャーキャー言えば、それこそ苛めがいがあるっつーのに。 そんなことをあれこれと考えていると教室のドアが開いた。 慎重に教室の中に入ってくる辺り、少しは学習したようだ。 今時、ドアに挟んだ黒板消しなんて古典的なものに引っかかるやつがまだいたのかと、 初めのころは驚かされてばかりだった。 今日は何も仕掛けていないのを理解すると、

「やっとやる気になってくれたのね」

なんてヘラヘラ笑って前の席に座った。 精々今のうちに油断してるといい。 笑みがこぼれそうな顔をぐっと耐えて、ジーッと見つめる。 そういえばこんなにもまじまじとコイツの顔を見たのは初めてのような気がする。

「どうかしたの? 清春君」
「なっ……なんでもねーッての!」

ふいに見つめられてドキリとした。鈍いくせにこんなときばかり鋭いのかと焦った。

「(……キシシ、今に見てろ……)」

隙を誘うため、まずはひたすら問題を埋めていく。 じっくりと話を聞くとコイツの教え方はまぁ悪くはなくて、普段は眠くなるような倫理問題でさえ頭に入った。

「(そろそろ……か)」

シャーペンを持っていない方の手を机の下に潜らせて、携帯を握る。 そのまま携帯を開いて、勘を頼りにカメラを起動させる。

「(困惑した表情、バッチリとおさめてやんぜ)」

すっかりオレ様が改心したと思ったコイツは、ニコニコと微笑んでいる。 その笑みを見た瞬間、オレ様は計画を実行した。


「………悠里」


きょとんとしたアイツの顔は目に入っていなかった。思ってた以上にオレ様自身が驚いてしまったからだ。 名前を呼ぶなんて簡単なことだと思ってたのに、いや、なんとも思ってないヤツの名前は簡単なんだ。 ただ、コイツの名前はオレ様の中のスイッチを確実に押してしまったようで、カァァと顔が赤くなるのがわかった。

ありえないだろ。
だって、教師だし、担任だし。
オレ様が、コイツを?

いろんなことが頭の中に浮かんで、慌てて口を覆った。 恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしかった。 担任を下の名前で呼んだことも、それで顔を赤らめた自分も、何もかもが恥ずかしかった。

「だぁぁぁぁぁ、ンなのは、オレ様のガラじゃねェ!!」

大声を出して赤面した自分を叱咤すると、背中に隠していた水鉄砲を噴射した。 キャッと小さな悲鳴をあげてコイツが目を閉じた瞬間、オレ様は逃げるように退散した。







廊下を全力疾走して、胸のザワメキを錯覚させる。 顔の火照りも全力疾走したせいだ。

「…ンなんだよッ!」

窓ガラスに思いっきり水鉄砲を噴射させると、はねた水が自分にもかかる。

「相手は年上だぜ? それも担任。春には別れるってのに、なんなんだよ!」

本当は、分かっていたのかも知れない。 怒ったり、笑ったり、クルクルと変わる表情をいつも見ていたのだ。

「だーっ、クソッ。アイツはオレ様の名を呼んでもこんなふうにはなんねーってのに」

自分だけが意識していると気付かされて、余計に腹が立った。



知らなかった。知りたくなかった。
知ってしまったこの感情は、出口を知らずにグルグルと、ただオレ様を不安にさせる。



» Back

(残酷なピンクの清春ver)